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熊野を代弁する音楽家として・!
長い人生を・
ようやくここまでかろうじて辿り着き、
私のその人生の使命が熊野の語り部であった事を今になって知る。
一遍上人・中上健二が・そうであった様に・。でも・・
私の様に熊野を語るアーティスト達は五万といる。
ただ、
熊野古道の本格的な入り口、和歌山県・海南市に生まれ、
2004・7/2
「熊野」世界遺産登録の翌日
熊野本宮大社報告祭での須佐之男命の本殿扉を開けた前の玉砂利上での演奏を賜る。
旧社地・大斎原から数えれば何千年にも及ぶ長い歴史の中で、
電子楽器が初めて入る。。
ポニーキャニオンより DVD「virtual trip 熊野」を発表。
しかも・
畏れ多くも・・
新宮の和尚に、一遍上人の生まれ変わりと断言され・!
今再び不補陀落渡海に旅立つ事に。
「熊野古道 時空の扉」実行委員会の、私の古くからの幼なじみのメンバーに、
非常にも・
私の今回の渡海船に思いっきり釘を打ち付けると言う。
もし・黒潮の流れがわだかまる場所に私が流れ着いたとしたら・・
過去の何人かの渡海僧達と同じ様に、なぐり殺し・・。
海の熊野古道!
「世界遺産登録」でも、たぶん今まで誰も唱えた事のない・
本当の熊野から世界へ!!!!
その答えがここにある!
不補陀落!
それは・
インドへ!
そして・熊野に!!
2006/01/10
新春奉納演奏決定〜ィ!1/17 「熊野・那智勝浦・弁天島」
>決まっている事ならば後は早く気付けよって言う事か・。
少しばかりの驚きはありましたが・
予想通り出てきました・・。
>たぶん近々、また川だの滝だので演奏してるんだろうな。
それは以外にも海でした・。
しかも無人島・・・・。
>新宮では随分前に私が音楽監修した勝浦のイベントでお世話になった方との感動の再会!それは無人島に何千人も集まる大そうなイベントで、しかも二度にも渡り。
その方の提案で場所が決まりました。
いくつか候補が挙がり、
ひとつは、熊野三山の三つの宮の一つ。
本宮・新宮、そして那智にもあったとされる「浜の宮」。
そこは私も一昨年、一回目の全龍寺のコンサートの翌日に行った場所。補陀洛山寺のすぐ横の小さな社。
那智山への入り口にあたる熊野古道のここの王子は、
渚の宮とも呼ばれ熊野3所権現を祀る格の高い王子。
古道も、最終コースに入り、市の野王子そして最後の多富気王子まであとわずか。
熊野古道の最果て。
そしてそれは海の古道へ・。
目指すは・
>その遥か大海原の彼方には阿弥陀様の極楽浄土・補陀洛山が。
まさに!
そこは、インド!
海のシルクロード。
熊野補陀落山寺の代々の住職は、61歳の11月に観音浄土をめざし生きながら海に出て往生を願う渡海上人の慣わしがあった。
計20人の僧が命を捨てて渡海したとされる場所。
この寺の住僧は臨終間際になるとわずかな食料を屋形付きの小舟に積み、扉を封印して、補陀洛へと旅立った。これを補陀洛渡海[ふだらくとかい]という。
候補のもう一つが、その海に出た船がすぐ最初に見る最後の島、弁天島。
なぜかそこには弁天様が祭られている。
インドではサラスバティー。
日本に流れ着いて市杵島姫命に。市杵島姫大神は素戔鳴大神(祇園さん)の御子神であって、特に水の守護神として、俗に辨財天と称せられ、芸能の神様とも。NAGA信仰にもつながる。
逆に、
太古より黒潮に乗って異国より流れて来た者達もいた。
最初に倭国を気付かせられる場所がここ。
遠くの太い一筋の那智の滝に必ず吸いこまれてしまったしい。
海路の灯台の役割とも。
インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人[らぎょうしょうにん]がこの熊野補陀落寺を開き、(補陀洛とは古代サンスクリット語の「ポータラカ」の音訳で、観音菩薩の住む浄土を意味するらしい)かつて那智の浜は、補陀洛浄土に通じていると信じられ、不思議にも「ポータラカ」はチベットのラサのポタラ宮を思い起こさせ、チベットと日本の古代からの強い関わりを感じさせられる。
中国大陸〜朝鮮半島経由で伝わったとされる仏教伝来の随分以前より、
黒潮海路を通じての仏教文化が入って来ていた痕跡がある。
実際に観音菩薩の仏像がここ那智の地より発掘されたり。
でも、いずれの場所も、
今回の元旦奉納の藤白神社と同じく、
熊野世界遺産のエリアにありながら、世界遺産の登録より外れている場所。
そんな場所にスポットを当てるのが、今の私達の使命・役割?
>その頃は熊野の事も知らずに、でもその頃から熊野に入ってた事を今になって再認識させられる。
勝浦町のその方に言って戴いたメッセージ!「松尾さんが熊野の事を意識出来た今、再び弁天島に立って演奏し、そこで何を感じるかを、今一度体験してみて下さい!」
私がとりあえず提案した、那智の滝・大門坂・陰陽の滝・と言ったあまりにもメジャーなロケ地はあっけなく消え去り、
今はまだ準備の段階で、渡船の準備や宿・音響機材の手配など、今回のNHKの収録に向けて、強力なサポートの皆様が現れ、あらゆる手を尽くして戴いている真っ最中ではありますが、
たぶん・
私は1・17 PM:100頃・
勝浦町 弁天島で
シンセサイザーを弾いている。。。。
2006/01/06
元旦早々・
藤白での強烈な奉納のお勤めも無事?果たし、正月早々飛び込んできたビジョン。
な・ち・・・・
那智と言えば一遍上人が配って歩いた念仏札「南無阿弥陀仏」の阿弥陀様を拝む熊野の最先端・極楽浄土への入り口。
その向こうには太平洋の大海原が。リンポチェのいるインドが・。
不思議な事に暮れのツアーで、新潟でも群馬でも那智の事を言う方が現れていた。新宮では随分前に私が音楽監修した勝浦のイベントでお世話になった方との感動の再会!それは無人島に何千人も集まる大そうなイベントで、しかも二度にも渡り。その頃は熊野の事も知らずに、でもその頃から熊野に入ってた事を今になって再認識させられる。
最近よく起こる、口の右下がピリピリしびれて熱くなる現象。
決まっている事ならば後は早く気付けよって言う事か・。
最近は気付いた時にはもう終わっている事が多く、後は3次元レベルでのお勤め。
たぶん近々、また川だの滝だので演奏してるんだろうな。
とにかく、長い歳月をかけて再び那智・勝浦に戻る事で、熊野三山全てを制覇する事に。
その遥か大海原の彼方には阿弥陀様の極楽浄土・補陀洛山が。2007年のインドツアーに向けての、私の補陀洛山渡海が始まってしまうんだろうな・
って言う初夢の様な現実のお話でした。
ちーン・・。
2006/01/02
2006年の幕開けはさくらより!
『日本の名勝 癒しのさくら 』
2006・1・27 ポニーキャニオンより!
DVD2枚組
商品番号:DMBP-40174
7,350円 (税抜価格 7,000円)
Link
2006/01/01
リンポチェの教え。
無事リンポチェは今日インドに旅立ちました。
私達にホームワークを残して。
世に出してもいい「オーム・マニ・ぺメ・フーム」の音源を抱いて。出してはいけない私の音とマントラの饗宴のマスターは忽然とPCより消えました。
そんな事はあるんですよね。
強烈なマントラ。助けられる必要のある人にとっては貴重なものでも、普通の人にはきつすぎる。
でもそんな感じもしていました。
私が今回のツアーで感動したリンポチェの教えのひとつに・
「私はチベット密教の布教活動に日本に来てるのではありません。全ての者が人として、生活レベルで幸せに暮らせますように祈りに来ました。」
でも・これが本来の仏陀の教え。
今のこのややこしい時代に一番必要な事・・。
オーム・マニ・ぺメ・フーム。
2005/12/30
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