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くまの王国 (そのY)
700年振りの出来事だそうです。
再びその方達が訪れるのには訳がありました。
今もこの地に眠るお宝の話。
私はそれを長老よりお聞きしました。
熊野の栄枯盛衰のロマンを語る上でも、非常に興味深いお話で、
今や、
その長老だけしか見たことのないと言うお宝。
「外に出すな!」そのひと言で・
それがその場所に今も存在する事で、
皮肉にもそれがそのエリア・
長い熊野の歴史上残る、
最後の聖域を護る事に。
フェロノサがかつて法隆寺の夢殿の聖観音を暴いた様に、
日本文化の研究推進を盾に、
千年以上秘仏に撒かれた布を取り去る時、
空は荒れ狂い落雷が轟いたと何かの本で読んだ事があります。
その後、日本中の秘仏や御神体がどんどん正当性の元に陽の光にさらされ、
世界中に流出していく日本のお宝を尻目に、
どんどん失われていった日本の大切なもの。
私は、それが永遠に表に出ない事を心より祈ります。
来年には高原の里に「平成のはたご」が完成し、
最近の熊野古道ブームにも乗っかり、
再びこの中辺路高原の地もさらに賑わいを見せ始めるのだと思います。
今、本宮とか勝浦には大量の人が訪れ、
一時の世界遺産ブームだけに終わらない、新しい熊野ブームが起き始めています。
それがさらに熊野の他の場所にも飛び火し、
蟻の熊野詣でで賑わった時と同じく、
熊野は元気です。
今の私達にとって必要で重要な場所なのでしょう。
とにかく・
高原熊野神社での奉納演奏を前に、
熊野の大自然よりの「海」「川」「山」の三種の神器が出揃い、
それを戴いた後、
この高原にお礼参りの奉納演奏を捧げると言うナガレが自然と出来上がったのでありました。、
2007/05/24
くまの王国 (そのX)
2月10日は高原の年に一度の祭礼の日。
私も参加させて戴きがてら、奉納演奏のチラシを配らせて戴く。
この時は和歌山在住の宮司さんも来られ、餅撒きもあったりし、
境内は久々に賑わいを取り戻す。
たぶん・かつては、
事ある毎にこの様な賑わいが起こっていたんでしょうね。
舞が舞われ・笛や太鼓が山々に鳴り響き、
たぶん・熊野の山々のいたる所でそんな風景が観れてたんだと思う。
境内の数千年の楠の大木と、小さなお社はそれを記憶している。
長老より、
お社のすぐ前の階段の上は、靴を脱いでしか上がる事のできない神聖な場所であった事をおききする。
それはずっと昔からつい最近・明治の頃まで。
そうやって、皆さんこの神聖な場所を護って来られたんでしょうね。
そんな場所が日本には沢山あって、
ここほんの100年程の間に、
近代文明と称して、
大切な場所が汚され・壊され・
再生不能の行き詰った状態が今。
そしてここはたぶん・その崩れた日本にとって、
重要な場所/へそ。
日本のこれからに影響を及ぼすキーマンな方達が来られ御参りされるのもなんとなく解る気もする。
その時の写真が、決して仰々しくなくさりげなく、
境内の社務所や下に降りた所にある最近出来た休憩所に、
さりげなく飾られていたりするのでした。
2007/05/24
お詫びと御報告
今年秋に開催を予定していました
「チベット密教砂曼陀羅in高野山」は、
当方サイドのやむなき事情により中止する運びとなりました。
これまで御協力戴きました高野山の皆様、
そして今まで応援して戴きました多くの皆様に、
深くお詫び致しますと同時に、
これまでの御尽力に心より感謝申し上げます。砂曼陀羅実行委員
松尾泰伸
2007/05/18
くまの王国 (そのW)
その後、再び高原熊野神社での打ち合わせ。
再び・高原の長老にお会いする。
またまたお聞きする数々の興味深いお話。
この日の模様はブログにも載せました。
すると現れる高原熊野神社の真上の虹。
またまた・
たまたま・
神社より見渡せる向かいの旧古道が走る山に、
「経塚を収めた釜が出た!」と言うお話。
汗だくになりながらその山に登る。
真に、千何百年から覚めたばかりのその経塚の下に埋められた遺跡との出会い。
図らずしも・その場所で、
その当時の熊野古道の空気を呼吸する事に。
ありがとうございます。
熊野の神様に感謝!
たぶん・こんな事が体感出来たのも、この時に限る。
今は既に教育委員会に収められたと言う、数千年眠り続けたお宝を拝見させて戴く事に!
この日の夜は、龍神村の今回の世話役の方のお宅に泊めて戴きました。
暗くなれば就寝するしかないこの山深い熊野エリアの日常の中、
気が付けば日付変更線を超えての、酒を酌み交わしての興味深いお話に夜は更けていく。
きっと・高原熊野神社ではいい奉納演奏が出来る・・。
2007/04/24
くまの王国 (そのV)
しばらくして新宮会場が変更になりました。
太地町の梶取崎が候補に挙がっていると言う事でした。
これで、熊野の海・山・川が全て出揃い、
熊野三山に比較すると知名度は低いですが、
高原熊野神社の奉納演奏の直前にこの新三山が現れた事にも何か深い意味を感じました。
それらの場所全てが、私の今回唯一知る一枚岩にひけをとらないスケールのどでかい素晴らしい場所であることを、この後知る事となります。
太地町の梶取崎では、
太地担当の方が是非私にと!
言って戴いてた事も後になってお聞きしました。
でも・
その一度もお会いした事もないその方のお名前を、
まったく別のルートで事前に大阪で私に知らせる者が既に現われていたり、
私は本番を目前に戴いた進行表にその方の名前を見つけ、ただ・ただ・驚きました。
2007/04/15
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