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こんな体験は人生のうちでもそんな出来ないと思いました。 丹生川上神社上社「月見祭」での奉納演奏。
何人位の方が集まっていたでしょうか・。
7・80人位はいましたか?。
昼間は、旧社地での樹齢600年もの杉の切り株の上でのロールピアノでの演奏。
私はここを何回か訪れていますが、未だかつてこの旧社地の場所がダムの水で沈んだ処を観た事なありません。この社を壊す意味は私達にとってなにもなかったのです。なんで現代人はこんな事をするんでしょうね?
日本の絵馬発祥の地を簡単に壊してしまうのはおかしい・。
そのさら地をさらに掘り進んだところ、4000年前とかの古代祭祈の遺跡、ストーンサークルが出たと言う。。
杉の大木の切り株は泣いてました。
「もうそっとしておいてくれ」・と・・。
そして、その切り株の上でのロールピアノでの演奏。
少しは喜んで戴けましたか?。
私にとっても初体験の、セドナの崖っぷちでも音がだせるかな・っと思い購入したそれが、意外なところで威力を発揮する事に。
でも・正直言って、これを演奏出来るにはかなりの修練が必要。
いくらダムに沈んだとは言え、その修練の場所は今も残る。
その重要な点を結んだ直線上には、旧社地を見下ろせる山の上に今の上社が在る。
私は光栄にもその一本の線で結んだ線上、上社拝殿のど中心に座らせて戴き、宮司様の雅楽の竜笛の奉納生演奏を体験させて戴だく。




2005/09/19

今年の後半は奉納続き! 日曜の丹生川上神社上社にはじまり、今の時点でどこでいつ何を演奏するかもわからないセドナツアーから帰ってすぐの10月15日には全国でも珍しい唯一の国宝の拝殿を持つ大阪・堺の桜井神社での奉納演奏。しかもここは、今私が住んでいるエリアの氏神様で、地鎮祭で宮司様との強烈な御縁を戴き、そして今回のはこびとなりました。宮司様より色んなこの地域の話をして頂き解った事ですが、この辺は弘法大師空海に非常に縁のある場所みたいで、私の住所の槇塚台と言う地名も、お大師様が経をうめた塚があったからと言う事を聞きました。またこの地域が大阪万博の頃に、何もなかった森をニュータウンとして宅地造成した時に、この槇塚台の地名をつけたのが宮司様のお父様・。
何かよく解ってませんでしたが、やっぱりお大師さんの御縁で、この地に来させてもらったんだと思ってしまいます。
11月の末には、新宮の全龍寺!
やっぱり出て来ましたねぇ〜♪!
ほぼ一年ぶりですね。
和尚曰く。
「松尾さんは土曜日が好きみたいなので、土曜の夜にしましょう。」
そうでしたか・・。私が土曜・・・・・?

とにかく、

ここもある意味強烈なパワースポットなので、非常に楽しみです!
こんだけ奉納したら、ほっといてもパワーアップしてしまいます。

でも・奉納とは、

いつでも・どこでも・だれでも出来る様な物でもなく、

人為的な意思の藩中を超えた、自然の流れ・バランス・調和のとれた何者かによる必然的なブッキングで、

まず私がそれに選ばれた事に感謝。

またそれが出来る、今の自分がおかれている全ての状況に、本当感謝してしまいます。

2005/09/17

一年で一番強烈な満月の夜。奈良県吉野の丹生川上神社上社での奉納! 初回は春。
スサノオとヤマタノオロチの壮絶なる戦い!
それがきっかけでの平和協定。
でもそれ以前にも強烈なウエルカムはありましたが・。
前回の夏祭りのお誘いにも惜しくも参加する事が出来ず、
10月の秋の大祭もセドナ行きとかぶる。
もうこのタイミングしかない。
あまりの急な参加に斬り込み隊長にも声をかけれず、
今回は単身での乗り込み。
とは言え、「虹の戦士達」の予備軍数名をちゃっかり従えての。
それは以前から続けられている、
全く外部に非公示のプライベートな宮司様だけによる満月の夜の笛の奉納演奏。

その場でシンセを弾かせて戴けると言う。。。

身に余る光栄!!

昼からは旧社地などでのスピリチュアルプログラムの数々。日が暮れる頃から、
満月の夜の、しかもたまたま観音様の縁日での、宮司様自らの超プライベートな奉納演奏が執り行われる。
ここでコラムしてる事自体が既に非公示ではなくなってしまう・・?
私が聞く限りでも、その日は県外からも大勢の方が終結するみたいで、
それならだいじょうぶか・?
もしたまたま近くを通られる様な方がいらっしゃいましたら、ちょこっと覗いてみて行かれてはどうでしょう。
上社の龍神様は、日本に数多く存在する龍神様の大本の「全龍」です!
きっと誰をも温かく迎え入れてくれると思います。

とにかく凄い場所ではあります。

みんな一緒にここからセドナに旅立つみたいです。

熊野〜出雲〜吉野〜セドナですか・・?。

昨日たまたまTVで窪塚洋介のアリゾナのネイティヴアメリカンの特番観てしまいました・(うわっ!)。

彼は二回目のアリゾナ行きの日に・・その日に・・・。

飛び降り・ま・し・た!。。!!!!!

(鯉のぼりですか・・?)

今日も満月に向かう大きな月が出ていました。

2005/09/16

「ゆかし/prayer」は、真にAO氏の「熊野の旧校舎で録りましょう!」の一言より始まっていました! そんな事もおぼろげに・車の中では、「松尾さんでしたっけ?熊野で録ろうてったの?」「いやー・AOさんだった様な・・」と言う二人。
「VIRTUAL TRIP」のからみで、当初は屋久島で録ろうと言ってたのは二人とも覚えてました。当時AO氏は、UAの映画の主題歌を彼女の故郷奈良の春日山で収録を終えたところ。
「野外録音はいいですよ!たぶん・ゆかしも、いい唄歌いますよ!」
ゆかしがスタジオでは歌えないと聞いていたAO氏はそんな事を言ってました。それが何故熊野に?
やはりそれも「VIRTUAL TRIP」がらみでした。
「VIRTUAL TRIP熊野」のMAで再びAO氏と出会う。和歌山古座川の滝の拝のシーンとなり、その時流れてた曲が、ゆかしの「いのり」の原曲。監督の光川氏が言う、「この辺は廃校が多いんですよね。」と・。どうやらその一言を強烈にインプットされたみたいで、それが・「熊野の旧校舎で・・」に繫がった様です。私も滝の拝の収録にはたまたま参加していて、「ここは祈りの場所なんだ・・・。」さらに監督がMAで、「これは命の唄だから鮎の産卵のシーンまでひっぱってもいいんだよ!」しかも、その曲は私が数あるヴァ−チャルの中でも殆んど使った事のないオルガンの音色。何故か滝の拝の場所に、行った事もないキリスト教の聖地、ルルドの泉を想う。それで音色はパイプオルガンに相成る。普段の私ではまず使わない音色。そんないきさつで誕生した曲がゆかしとAO氏のお陰様で実を結ぶ事に。
今回の大阪で、
AO氏は何か確実に掴んだ何かを持たれて東京へ。

でも・・・

本当の・・・

超絶ミラクルはこの数分後でした・・・・・・

AO氏を見送った後すぐ・突然ゆかしから携帯に・・

「今AOさんに会ったよぉ!!すーごいでしょっ!すーごいっ!!本当すーごいでしょっ!!!」

(確かに凄い・・・・・・ 今度はどんな術を使った?
かなり・・・腕は上がってますが・・・・)

もう私には何も返す言葉はありませんでした・・。

(なんで会うん?・・)

どうも後から聞くと、ゆかしはいつもとは違う行動範囲で動いてたらしく、新大阪の人ごみの中でAO氏しか見えてなかったと言う。AO氏もチケットを買う場所をわざわざ変えてうろうろしてたみたいで、
やっぱり全てはたまたま・・。
偶然の必然なのでした。

AO氏も、ただ・ただ・笑うしかなかったみたいです。

よく解りませんが、私の車の到着の推定時刻の不確定性も含め、
何かが繫がりました。

何かは解りませんが・間違いのない事だけは間違いない。。。。

の・でした・・・・・。

チーン!




2005/09/15

虹の戦士達!総司令官来阪!!!! とある方に導きが終わったと言われてから、まだ一ヶ月も経ってません。
でもまだ不思議な事は続いてます。
「ついてる」の二作目の録音の為に、非常に多忙なスケジュールの中、サウンドデザイナー:AO氏が東京よりわざわざ梅田の新地に来られる。
行かれたもない現場に辿り着くまでにいきなり、「今回は二階ですか?」
確かに1Fか2Fどちらで録るかは話題に上ってたところですが、
しかも、今回のシンガーとの対面で、「たぶん・どこかで会ってますよね!」
お二方の行動範囲ではありえない事なので、たぶん前世の話・・?
大阪・新地は随分大昔から大概の念の渦巻く場所!
未だにその賑わいは衰えず。そんな中、おかまさんも参加しての「ついてる100そんぐ」第二弾収録!
今回もやっぱりシンガーの目に涙。。
一作目を遥かに上回る超絶日常!!!大阪の究極の 【べ・た・】が展開されました!たぶんこれがメディアを動かす事になる予感・・。
身に余る光栄な事に、
その日のAO氏は我「光ハウス神の家」に。
しかも今回は私に最先端のサラウンド対応制作ソフトのレクチュアーの為にマック持参で。。
有難う御座いました!
これで、私もVISIONの怨念の緊縛からようやく解放される。
簡単にサラウンド4.0がノートで何処でも・・。凄い。
これが今回の本命?
音楽以外の話でも以外な盛り上がりをみせる。

でも、さらなるミラクルは翌日に・!

見送りを兼ねて新大阪に車を走らす。何故か車の中では去年の「平和の祈りコンサート」でのラスト・「般若心経」や、こないだのゆかしのコンサートの音源が流れる。熊野本宮旧四村川小学校録音での生徒達の代わりをしてくれた和歌山の子供達の声が流れたとたん、AO氏に何かが舞い降りる。私も涙。「いやー・・強烈ですね!何か降りて来ましたよ!頭痛いです!」とAO氏。
そう言えば、今回の「ゆかし/prayer」は、AO氏の「熊野の旧校舎で録りましょう!」の一言より始まっていたのです。それから下見での二人の場所探しでの予知。熊野の神々に護られた録音と、次々ミラクルな事が続きました!それがいまさら、まだ継続していたとは・・・。新大阪に着くと同時に、音源もカーテンコールに。「松尾さん、計算してましたか?」「いや、何も・・」
全てはたまたま。たまたまが一番凄い。
硬い握手を交わし、AO氏は一路東京に!

2005/09/15

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