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ティジュコンサート、ありがとうございました! たくさんの皆様のサポートと、深い御縁の方々に集まって戴き、私的にも新たな出発を感じる有意義なコンサートでした。ダライラマやチャンイーモーやキースジャレットやセドナや雲南省など、不思議なくらいに皆様もシンクロしていたので驚きました。ティジュのおかあさんが最後に語ってくれた私の音楽に対する思い。「生の自然の風景を観ていると松尾さんの音楽が流れてくる・・。」まさにそう言う事だと思います。そう感じて戴ける事が一番うれしい!本当にお世話になった皆様、有難う御座いました!
音楽にはもっと凄い力がある事に気付いてもらう為に始まった私の新たな旅。音・音楽は大自然そのものなのです。時には優しく・時には激しく。私たちは常にその恩恵に授かっている事を気付かなければいけません。太古ではみんなそうでした。現代文明程人工的な物がない時代、全ては大自然からのパワーを頂いていたのです。その中でも一番ストレートなのが音の波動。病気も癒せばコミュニケーションの道具にもなる。
現代、まだまだ正当な音楽の使い方が行われていないと言われています。

そんな事を演奏の合間のトークでしゃべってたり。私の最近の演奏スタイルに、言ったり考えたりする事がようやく追い着いて来てる感じです。
歯車が合い始めたって言うか・。
今年は20より毎日連続のコンサートが一週間続きます。極め付けが大晦日。なんかいい旅になりそうな気がし始めています。

2005/12/04

リンポチェ来日に向けて 昨日たまたまセドナ行きのメンバーの吉野丹生川上神社上社詣に参加させて戴きました。私の様な凡人でも、龍だの・この神社のシンボルの右回りの巴だのが視える様になってしまいました。それは何か不思議なエネルギーの体感。第六感以上での・。こないだの滝谷不動での御祈祷でのパワーアップや、東京REC.でのスタジオでの龍神降臨など、一気にエネルギーの塊が連続して飛び込んで来ている様な感じがしています。そのせいか?今日は並列思考で、色んなアイデアが点滅していました。右脳の働きですね。
左脳思考は直列で段階を踏まないと次のレベルの鍵を開けられないみたいなので。並列思考は、部屋の多くの蛍光灯が一つのスイッチで一気に点いてしまう様な感じ。ただそれぞれの蛍光灯はてんでばらばらのメッセージなので、何のつながりもない様な事を覚えるのが大変。でもそれらもいつかつながってくるのでしょう。
これもリンポチェをお迎えする為の・お供するためのパワーアップ。
20日和歌山・海南・永楽寺・PM1:00〜 PM6:00〜
22日和歌山・新宮・全龍寺・PM3:00〜 PM7:30〜(コンサート)
23・24日新潟
25・26日群馬
27日東京


2005/12/02

「単騎・千里を走る」メイキング・ドキュメンタリー が、世界中の人の涙を誘い始めています。
東京国際映画祭で好評を博し、中国ではネットや駅などで放映され、本編の世界公開に向け全世界に波紋が広まっています。
今まで国内に留まらず、アジア・ヨーロッパでも紹介されているポニーキャニオン発売の「ヴァーチャルトリップJAPANシリーズ」。
その制作スタッフが制作しました。
そして音楽にも私の曲を全編で使って戴いています。
始まりは「ぽっぽや」まで遡ります。
その頃「さくら第二章」のDVDの音楽を担当させて戴いていた私の音源を、やはり「ぽっぽや」のメイキングを制作していたスタッフの方が健さんに渡され、その中でも、「いつまでも」が持つ日本人の魂・郷愁・痛み等に感銘、共鳴して頂けたみたいです。
丁度その頃ソロアルバム「for TERRA」も発表され「いつまでも」はそのラスト曲に。
健さんの次の作品「ほたる」ではメイキングのオファーがなかった様です。
もうそれで終わったと思っていたのが、今回の「単騎、千里を走る」のメイキングに。
音楽の依頼は私がセドナに旅立ったその日でした。
セドナでその依頼の電話をとりました。
一週間後帰国と同時に始まる制作。
時差ぼけとセドナの強烈なパワーを引きずった中で音楽が生まれていく。
それが、こういった形で世界に発信される事になるとは・。
今回のメイキングの映像を創る為、一年間雲南省にいたスタッフは、私がセドナに行った事で「よかった」と思ったみたいです。
おかしなことに締め切りの事も考えずに(笑)。
私は熊野の尾鷲のある滝での奉納演奏をした時より、セドナに行く事が決まってました。
そのセドナにはチベットの高僧が待っていて、
かたや雲南省ではチベットのヒマラヤをバックに一年前よりロケが敢行されている。
つながってたんです
熊野とセドナとチベット。
帰ってすぐ観たDVDのセドナと雲南省の玉龍山のレッドロックの景観の一致の不思議。
こんなこともあるんでしょうね。
12月の雲南省撮影現地での試写会で、健さんに今回「さくら総集編」の為リテイクした「いつまでも」がプレゼントされると聞いています。
まだ健さんにはお会いした事もないのですが・
二匹の龍体が天に昇る、NEW!「いつまでも」の姿にきっと健さんの龍も感銘して戴けると思います。

2005/11/30

融通念仏 とは音魂の波動共鳴の事です。
多くの人が「なむあみだぶつ」を唱える事でそれが波動共鳴し、魂レベルで地球とつながって行く。信心のある者ない者に関わらずそれは地球の自然エネルギーと共鳴していくのである。
全ての者は既に救われているのだから、それを唱えるだけで良い。その数が増えれば増えるほどその共鳴は倍増して行く。「ついてる」もそれと同じ。とにかく歌えば、その音魂を発せればそれで良い。その事で地球レベルとつながるのですから悪い事には決してならないと言う理屈。
「五大に響きあり」 空海も言っています。あらゆる世界はそれぞれが響き合っている。宇宙創成の最初も、響きだと言う人もいます。
人間が賢く生きる道はまだまだ身近な所で残されているのです。


2005/11/30

一遍上人の教え ある意味一番仏陀の教えに近いのかもしれませんね。寺も集団も資金も何も持たない、ただ「南無阿弥陀仏」のお札を行脚して日本中に配り歩く。仏陀の生きてた時代も仏像も寺もなかったんですよね。偶像崇拝はそれよりも後の事で、その教えを受け継いだ者たちが作り上げていったもの。確かに、その方が形として後々まで残って都合が良い。現代人も今形に残っている物だけを評価する。だから上人の融通念仏は日本中で大ブームになったにも関わらず何も残さず消えてしまう。全ての人は阿弥陀仏により既に救われていることを熊野の地で熊野権現より教えられ、一人の人間が人を救う事のおごりに目覚め、ただ・それに気付いてもらうための御札配りに生涯を賭ける。森羅万象全ての物に神が宿ると言う熊野信仰にも通ずる。それは世界の原始宗教にも・。歩き続ける事は並大抵の事ではない。行倒れになる事を覚悟で歩き続ける。「すててこそ」。全てのものをすててこそ救われると言う上人の教え。それは、自然界のバランスを生身の身体で捕らえる事。そしてその自分も自然界の一部である事に気付く事なのです。

2005/11/30

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