オカルトハウスに戻ったその日の夜の事でした。
ふと思いつき、その年の秋に行われる「平和の祈りコンサート2」の協力をいただく為、和歌山の友人に連絡をとる。
一通りの用件も終わり、電話ばなしもそろそろ最後に差し掛かった頃、
つい・ポロリと口から出てしまう。
「実は今・『ついてる』と言う変な曲を歌わされていて、その録音場所をさがしているんだけど・」
すると・友人からは即効で意外な返事が帰って来る。
「私、心当たりがある。」
私、「えっ!」
友人、「もしかしたら私の家の様な気がする・・」
私・(そんな・適当な・・)
でも続いて彼女の口から話された内容は、私を納得させるには十分なものでした。
友人、「って言うのは、今外からの帰りで、まさに家の敷居をまたいだその時にこの話が出たのよ。で・ふとそう思ったんだけど・」
その友人もそっちの感覚には人並み外れたものを持っていた事を思い出す。
友人の話は続く。 「実は私の家は、龍の山の中腹に建っている築100年以上の旧家で、 むかし大おじいちゃんがその龍脈の上に建てたものらしいんだけど、 その中でも書院造の間は、丁度龍穴の真上にあり、畳に座っているだけでもピリピリと強い気を感じれる様な場所なの。 あんたなら来たら直ぐ感じると思うわ・」
私・(出た〜〜・またまた龍か・)
友人、「それを建てた大おじいちゃんは、当時にしては和歌山に置いとくにはもったいないくらいシャレた人で、銀行関係の仕事をしていて、アメリカとも取引があり行ったり来たりしていたみたいなの。本当はアメリカに住みたかったんだけど、結局その夢は諸事情で叶わなかったみたい。そんな人だったので、顔も広く社交的で事ある毎にその書院造の間で宴が繰り広げられていたと言う話。」
案外・和歌山とアメリカは縁があるんですよね。 和歌山の日の岬と言うところには「アメリカ村」と言う名前の場所があり、 今もアメリカ移民の末裔が住んでいる。 それが実はアメリカではなく、カナダのバンクーバーであった事を、 たまたま私は去年のバンクーバ行きで知る事に。
バンクーバも元々は、「ファーストネーション」(インディアン)の居住地で、 遡れば蒙古斑民族、私達の仲間が住んでいた場所。
これもたまたま後で判った事ですが・ 録音を担当してくれたAO氏の苗字の出所に、 この日の岬周辺説がある話や、
何か・全てのものが繋がっている事を知らしめさせられている様な、 そんな感じが・ とにかく深い縁では確実に結ばれていたのでしょう。
話を戻します。 友人の話ではその書院造の間は、長い間雨戸を開ける事もなく、封印させられていると言う事でした。 そして、私もおぼろげなキオクを辿って行くと、 その場所には、小さい頃何回か母親に連れられて行った事があり、 中学の頃はその庭園の傍らにあった庵で勉強を習っていた事を思い出す。
しかも・その家には生まれたての私と友人が、それぞれの母に抱きかかえられた4ショット写真があると聞いて、さらに驚く。そんなに小さい頃から行っていたとは・ 私の母とそこのお母さんは教師仲間だったのです。 あまりに忘れていた事が多く、自分の記憶力のなさにも驚く私でしたが、
この話の絶妙のタイミング良さに、
「ココだ・」
と思わざるを得ない私ではありました。
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